参考にしている逸話などをまとめています。
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◎文禄三年原田左馬介廿九歳、於對馬病死、公哀傷の餘六字を句の上に置て御詠(眞山記)
原田左馬介は宗時で、天正十八年大崎葛西の一揆の時貞山君之れを煽動したとの嫌疑あるや、君命で浅野弾正に委曲申開きし 又、文禄征韓役に方りては、浅野弾正の問に応じて敵情を報告旁意見を開陳(眞山記)した貞山君の近臣。軍法を犯して敵を攻めて弾正を怒らせた(桑折次左衛門覚書)信任深い元気者だつたが、文禄二年病気ゆえ帰船を命ぜられ(七月廿一日付富塚江宛)、對馬で病没する。一説釜山で死んだのと云ふ。首書に三年と有るは二年の筈だ。
原田左馬介は宗時で、天正十八年大崎葛西の一揆の時貞山君之れを煽動したとの嫌疑あるや、君命で浅野弾正に委曲申開きし 又、文禄征韓役に方りては、浅野弾正の問に応じて敵情を報告旁意見を開陳(眞山記)した貞山君の近臣。軍法を犯して敵を攻めて弾正を怒らせた(桑折次左衛門覚書)信任深い元気者だつたが、文禄二年病気ゆえ帰船を命ぜられ(七月廿一日付富塚江宛)、對馬で病没する。一説釜山で死んだのと云ふ。首書に三年と有るは二年の筈だ。
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