参考にしている逸話などをまとめています。
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幼名虎駒。後改左馬助。本姓山嶺氏。爲伯父原田大蔵宗政嗣。事貞山公。屢有戦功。朝鮮之役。佩長刀従焉。観者偉之。曾與後藤信康有隙。後和解結歓。世以廉藺称之。朝鮮凱旋途中客死于對馬。時文禄二年癸己七月。年僅二十九。原田氏世宿老。至孫甲斐宗輔。有罪其家断絶。
寄 後 藤 信 康
老 無 恙 也 我 猶 全。
雁 使 飛 来 消 息 傅。
枕 路 兼 通 西 海 上。
夢 魂 定 可 到 君 邊。
老 無 恙 也 我 猶 全。
雁 使 飛 来 消 息 傅。
枕 路 兼 通 西 海 上。
夢 魂 定 可 到 君 邊。
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近々大唐よりあつかい申候て、無事ニ成候。
一、渡海以来ニ度々申入候。
相とヽき候哉。御床しく候。
此度之書礼相とヽき
申候。戦床之臥候而、再三
見申候。誠一封之書ハ
寄数行泣候と申候事、
今思合候。
一、万事機遣共御尽し候べく候。
常之事、不驚候へ共、
惆悵而独悲のミゝ。
一、眼病之由、にかゝ敷候。
病入見るやうにて候。
一、拙ハ去年ハ不断相煩候が、
高麗へ渡候よりハ不煩候(以下不明)。
一、明日赤国へ動申候。万事
機遣心懸之事、
筆ニもおよひ申ますく、申度事ハ
山雲海月よりも余有
候へ共、ふミハ不叶義共多
候間、早々、我ふミなからなつかしく候。
恐々謹言
原左馬助
六月十二日
後藤孫兵へ殿 まいる
以上。
一、渡海以来ニ度々申入候。
相とヽき候哉。御床しく候。
此度之書礼相とヽき
申候。戦床之臥候而、再三
見申候。誠一封之書ハ
寄数行泣候と申候事、
今思合候。
一、万事機遣共御尽し候べく候。
常之事、不驚候へ共、
惆悵而独悲のミゝ。
一、眼病之由、にかゝ敷候。
病入見るやうにて候。
一、拙ハ去年ハ不断相煩候が、
高麗へ渡候よりハ不煩候(以下不明)。
一、明日赤国へ動申候。万事
機遣心懸之事、
筆ニもおよひ申ますく、申度事ハ
山雲海月よりも余有
候へ共、ふミハ不叶義共多
候間、早々、我ふミなからなつかしく候。
恐々謹言
原左馬助
六月十二日
後藤孫兵へ殿 まいる
以上。
後藤孫兵衛、原田左馬助、戦に臨んて往々先を争ふ佐沼の戦、孫兵衛何時も左馬助に先んせられるヽを憤り人の未た攻めさるを窺ひ夜を冒して単身本丸の石垣を攀つ思らく此度こそ左馬助に先んつるを得たりと時に暗中人あり『左馬助此に在り孫兵衛只今か』と已にして敵門を開て突出、殊死して戦ふ我軍少しく郤く咄嗟の際孫兵衛は石垣に取付き左馬助は城門の柱に身を寄せ共に敵の退くに乗して反撃大に之を破る城兵退て門を閉つ左馬助令を下して諸門を打破せしむ城遂に陥る孫兵衛眼下と腿と二箇所に銃創を負ふ勇戦屈せす
原田左馬助、勇悍にして膽略あり年十八歳にして軍事を掌る、公か重んする所たり後藤孫兵衛、齢ひ左馬助より長するを以て應接、頗る簡なり遂に隙あり一日孫兵衛、「登城」左馬助に禮せす左馬助大に憤り相刺違して死せんとす直に往て孫兵衛を訪ふ在らす友人某の宅に就て遊ふ左馬助尋ね到りて孫兵衛を見んを請ふ謁者、左馬助か顔色、常ならさるを見、驚て主人に告く時に孫兵衛、主人と碁を圍む謂て曰く左馬助、此に来れと左馬助、直に入て孫兵衛か前に跪座す大聲、孫兵衛に謂て曰く汝、平常吾れを侮る吾れ夙に焉を知る而して今日城中吾れに禮せす無禮も亦甚し今や忍ひ難し汝と相刺して死せんと直に佩刀を抜かんとす孫兵衛應へす平然として碁子を下して止ます左馬助罵辱交々至る且つ曰く汝卑怯も亦た極れり若し勇を比せは吾れと汝と須彌と芥子との如し汝も亦た武夫なり耻を知らは何そ起て應せさると孫兵衛自若として顧みす左馬助如何ともする能はす圍碁の畢るを待て決せんとす已にして畢る孫兵衛云く■てりと静かに碁子を収め碁盤を移し起て盥嗽して左馬助か前に端坐す是に於て従容、左馬助に謂て曰く足下の言、吾れ一々焉を記す抑方今の世、國家多事人材の急、飢渇の如き者あり才識勇武、足下の若き徒に死す惜まさるを得す吾れ亦た千金、君に盡すの身を以て狂暴、足下の如き者の手に死す深く悲む所たり然るに子にして決す吾れ亦た辭せす唯た尋常相刺して死す大刀は一二貫にして死す未た以て勇怯を知る能はす且つ心胸は一貫して死す謂ふ腹を刺して死せん足下先つ余を刺し而して刀を抜け余亦た足下を刺して刄を抜かん斯の如くにして相刺し其數に堪ゆると否とを以て謂ゆる須彌と芥子とを判せん否らすんは安んそ勇怯なる者を知るを得んと孫兵衛即ち襟を披き腹を露はして待つ左馬助、是に於て刀を投し拜謝して曰く吾れ少年、血気に逸りて濫りに長者を冒す慚愧に堪へす況んや足下君公の為めに身を重んして私闘せすと謂ふに至ては臣たる者、焉んそ感を同ふせさらんや吾れ誤てり足下謂ふ恕せよと孫兵衛因って謂て曰く人、辱しめを受く誰か死を思はさらん然るに足下と吾れと身命を延て他日國の爲めに死す亦た可ならすやと此よりして二人歡然、相得て兄弟の如し征韓の役、左馬助軍に従て朝鮮に在り音問、霏々として断へす其の病んて對嶋に在るや遙に一首を孫兵衛に寄せて曰く
客枕揺々西海上 夢魂夜々到君邊
と時人以て廉頗藺相相に比す
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