参考にしている逸話などをまとめています。
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名臣、小字を虎駒、後ち左馬之助と称し、伊達氏累世の宿老家たり、養父原田大蔵宗政、相馬の役に戦死して嗣なく、弟山嶺源一郎の子を養ひて嗣となす、即ち虎駒なり、輝宗公偏諱を賜ひて宗時と曰ふ、性剛直にして勇武絶倫、苟も人に屈下せず、年十八にして軍事を司り、屢々戦功あり、甞て伊達氏の老将後藤信康を怨み相撃ちて死せんとせしが、遂に信康の義勇大量に畏服し、二人是より相親善す、文禄二年政宗公に従ひて征韓の役に赴く、宗時背に大刀丈餘なるを負ひて駿馬に跨り、金鎖を以て之を鞍上に約す、衆其武装の偉を称せしと云ふ、已にして朝鮮に入り釜山浦に於て病に罹り對馬に帰港し、終に茲に客死す、時に文禄二年七月、年僅に二十九、公其訃を聞き、爲に国風六首を詠じて之を弔す、時人之を栄とせり。(仙臺人物史)
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