参考にしている逸話などをまとめています。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
公夙に會津に志あり天正十三年五月初めて兵を出して之を征す綫に檜原を披く六月塞を檜原に築き後藤孫兵衛信康をして之を守らしむ令を下して濫りに兵の塞外に出つるを禁し且つ孫兵衛をして『仕置』を司らしむ孫兵衛、檜原に『城番』たると五年 公屢々書を贈り使を遣して警戒を厳にせしむ曰く晝夜用心すへし曰く用事あらは日夜の嫌なく急使を発して報告すへし曰く万一、倦厭逃亡する者もあらは處するに厳刑を以てせよ曰く『田村なとにては先年二本松(畠山義継)塩松(大内備前)敵なりし砌は洞中(闔藩)の輩、打績、五六箇年警固せしとあり』云々天正十七年會津 公帰す孫兵衛乃ち任を全ふして還る蓋し檜原は米沢の背後にして會津に入るの関門たり故に孫兵衛をして守らしむるなり孫兵衛深沈にし膽量あり忠誠比なし屢々 公か爲めら守城の任を盡くし未た甞て失はす 公か信頼する所たり
尚武子曰く檜原の地勢、攻勢を以て言へは會津の敵を監視して進入の梯階と爲すへく守勢を以て言へは 公四方を奔走す米沢の背後を捍衛すへし是れ 公孫兵衛をして檜原を守らしめし所以なり而して 公遂に會津を略す孫兵衛赫々の功なしと雖も背面防御の功亦た大なりと謂ふへし
尚武子曰く檜原の地勢、攻勢を以て言へは會津の敵を監視して進入の梯階と爲すへく守勢を以て言へは 公四方を奔走す米沢の背後を捍衛すへし是れ 公孫兵衛をして檜原を守らしめし所以なり而して 公遂に會津を略す孫兵衛赫々の功なしと雖も背面防御の功亦た大なりと謂ふへし
PR
Comment
カレンダー
カテゴリー
最新記事
(07/17)
(03/08)
(01/04)
(12/27)
(12/25)
ブログ内検索