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某の戦、夜 公自ら出てゝ諸営を巡察す偶々茂庭石見、盡間の戦闘に疲れ白綾の『具足下』を纏ひて火の、そはに横臥し鼾聲雷の如し 公視て問はす「矢立」取り出し莞爾として古歌二首を『具足下』の腰の、あたりに書きつけて去る歌に

いかなる事かおもひけん
 ふるき事かきつけ侍ぬ
  わか恋はみ山かくれの
   くさなれやしけさ
  まされとしる人のなき
    いとせめて
      恋しき時は
       むはたまの
  よるのころもを
     かへしてそぬる

『具足下』猶ほ後藤氏に蔵す 公か筆勢雄抜、飛動の勢あり蓋と陣間、劔鉾の気、然らしむるなり


※類似記事
仙臺新報 第四十九号|政宗公の御親筆
不動堂村誌|領主 後藤家|近元
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片倉小十郎、名笛を蔵す『汐風』と曰ふ陣中、鎧の脇に挟み餘閑ある毎に甲を降して逍遙盤礴、石を裂き玉を迸らす三軍の士、聞て爽然たらさるなし
伊達成実の近侍、清野某、剛愎にして往々上を犯かす成実これを手打にせんとすること屢なりと雖も其の勇悍を愛し問はす某か職「月額番(さかやきばん)」たり一日剃櫛、誤て成実の片釣鬚を剃り落す某、遂に左右を剃り去る成実鏡に対し心窃に怒れとも某か言の如何を待て之を處せんとす剃り畢りて某拜伏告けて曰く釣鬚主公に於て醜甚し因て剃り落し候ふと成実曰く好しと他を言はす成実此より復た鬚を蓄へすと云ふ
天正十六年正月 公、片倉小十郎か宅に臨む「能」あり畢て小十郎等、自ら『獅子躍』を「躍」て 公か覧に供す『御日記』に曰く

『廿一日てんきよし(片倉)小十郎へ御いてなされ候御のふ六はん御さ候みわ、ふなへんけい御たいこ、あそはされ候ていはん(小梁川泥蟠)も大つゝみ(大鼓)まいり御申候一はんに、なには(難波)二はんに、さねもり(實盛)三はんに、みわ(三輪)四はんに、てうりやう(張良)五はんに、八のき(鉢木)六はんに舟へんけい(舟弁慶)御さ候七はくしう(七宮伯耆)いとうひせん(伊藤肥前)小十郎さい々々、おどり被申候二こんめ(二献目)に(公)御ひけ被成候て御てつほう、つゝめ(筒目)を、あそはされ候さまの助(原田左馬助)はくしう(七宮)小十郎しゝおとり(獅子躍)を、おとり被申候其上大御し■御座候』

時に 公新に仙道に勝つ 君臣の意気、飄揚、雲の天半に掛かるか如きを見るなり此時 公年二十有二歳、景綱三十有二歳、原田左馬助二十有四歳、伊藤肥前五十有二歳、風雲際会、気宇宙を呑むの概あり
伊藤肥前の窪田に死するや國中傳て之を惜まさるなし中にも濱田伊豆等深く之を悼み連歌会を開て之を吊ふ岩城の臣志賀甘釣、風流の士なり時に葦名佐竹の爲めに和を請ひ周旋、我に在り又た来り会す連歌師猪苗代兼如之か辞を作くる文に曰く

去し頃、思はさるに戦出て伊藤肥前、命を君に奉らる其程甘釣齋は常陸の使にて輩の情を和け奉らん爲 伊達の陣に日を送らる安積山の山の井の水手向に添て発句をなと各すゝめ給ひしを浅くは思はぬ事なから多く紛れ打過ぬれは、そのかはりに予つかふまつれと有けるを度々すまひけれともしひて催さるれは、さし當りての六つかしさを遁れんとて後の嘲を忘れ侍りぬ


消還り置はあたなる露もなし      猪苗代兼如
草の花つむ路の朝夕         浜田伊豆景隆
蟲の音に飽ぬ名残の野を分けて    甘釣齋玄湖
月の光を片敷の袖                長安
槇の戸を涼しき儘に鎖さなん      兼如子恕仙
軒端の山に雨過くる暮        大和田筑後忠清
立並ふ松の葉傳ふ風の音     志賀左衛門盛清
やとり定めす鳥や鳴らん       志賀右衛門武清

八人なる者、連歌を假りて追悼の意を表す聞く者、其義を高しとせさるなし
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